HISTORY歴史

夢を受け継ぐ

富岡葡萄農園「濃厚葡萄液」の誕生から現在まで

明治初年

富岡葡萄農園の濃厚葡萄液は、現農園主である富岡信也の祖母、清(せい)がつくりはじめたものです。

明治初年
清の舅で男爵であった富岡敬明(1822~1902年)は退官後、山梨県善光寺に居を構えました。終の棲家として手に入れたこの地がぶどうの栽培に適していることを知った敬明は、西洋種のぶどうを敷地内に植えたのです。

半世紀を経て
男爵家に嫁いだ清は、敬明の心を読み取ったかのように、広い庭にぶどう畑をつくりました。

富岡 敬明
富岡 敬明 とみおか けいめい
文政5年11月8日(1822年12月20日)
明治42年(1909年)2月28日は、日本の官僚・政治家・華族・漢詩人。山梨県権参事、熊本県知事、貴族院議員などを歴任する。書聖と謳われた明治の三筆の一人、中林梧竹は従兄弟。
  • 登録文化財指定の富岡敬明邸

    登録文化財指定の富岡敬明邸

  • 当時の熟成用斗瓶

    当時の熟成用斗瓶

昭和初期

清(せい)が濃厚葡萄液を作り始めたのは昭和初期でした。
清は明治生まれでしたが当時としてはとてもハイカラな女性で、アメリカの雑誌で見た朝食のシーンから、果汁100%の濃厚葡萄液作りを思いつきました。

清がつくる濃厚葡萄液は、西洋好みの人々や健康に気を配る人の間でたちまち評判となりました。

それから現在まで、富岡葡萄農園では頑固なまでに手作りの味を守り続けています。

  • 1933年、創業当時のラベル

    1933年、創業当時のラベル

現在
今も基本的にはその頃と同じ作り方を守っています。
機材は老朽化するので、衛生のためにも新しくしていますが、製造方法は変わっていません。
「この葡萄液を無くさないで」 という多くのお客様の声に励まされ、清の夢を引き継いでいます。
  • 収穫の風景

    収穫の風景